藤原定家が撰者とされる「小倉百人一首」ですが、恋の歌はなんと43首もあります。恐らく一度は聞いたことがある歌も多いと思いますが、歌の意味や詠まれた背景までは知らない歌もあると思います。ここではその中から10首を厳選して紹介します。ぜひ好きな歌を見つけてみてください!
- 百人一首とは
- 恋の和歌10選
- 第9番)花のいろは 移りにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに〈小野小町〉
- 第38番)忘らるる 身をば思はず 誓ひてし 人の命の 惜しくもあるかな〈右近〉
- 第40番)しのぶれど 色に出でにけり 我が恋は ものや思ふと 人の問ふまで〈平兼盛〉
- 第41番)恋すてふ 我が名はまだき 立ちにけり 人しれずこそ 思ひそめしか〈壬生忠見〉
- 第42番)契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 波こさじとは <清原元輔>
- 第43番)あひみての のちの心に くらぶれば 昔は物を 思はざりけり〈権中納言敦忠〉
- 第50番)君がため 惜しからざりし 命さへ 長くもがなと 思ひけるかな〈藤原義孝〉
- 第67番)春の夜の 夢ばかりなる 手枕に かひなくたたむ 名こそをしけれ〈周防内侍〉
- 第77番)瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に あはむとぞ思ふ〈崇徳院〉
- 第89番)玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば 忍ぶることの 弱りもぞする〈式子内親王〉
- まとめ
百人一首とは
一般的に百人一首とは、藤原定家が撰者とされる「小倉百人一首」を指します。定家は平安時代末から鎌倉時代初頭にかけて活躍した人物です。
百人一首に選ばれた歌は、1番の天智天皇の歌から100番の順徳院の歌まで、概ね時代順に並んでいます。1人1首ずつ選ばれているので、同じ人の歌は出てきません。選ばれた100人は天皇や貴族、女房などとなっています。
恋の和歌10選
第9番)花のいろは 移りにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに〈小野小町〉
桜の花は虚しく色褪せてしまったよ。美しかった私の容姿も年老いて衰えてしまったことだ。長雨が降るのを物思いにふけって眺めていた間に。
桜の花と自らを重ね合わせ、容姿の衰えを嘆いた歌です。「経る」と「降る」、「眺め」と「長雨」が掛詞です。小野小町は絶世の美女として知られていますが、美しいがゆえに年老いて容姿が衰えていく辛さも強く感じていたのでしょうか、そうした心の曲折が、長雨で色褪せた桜の花びらと重なって詠まれた歌になっています。

第38番)忘らるる 身をば思はず 誓ひてし 人の命の 惜しくもあるかな〈右近〉
あなたに忘れられるこの悲しさは今更なんとも思いません。けれど、忘れないと神に誓ったあなたの命が天罰を受けて失われてしまったりしたらと、そのことが惜しまれてならないのです。
「逢ふ」や「見る」は、男女の間で使われる場合は、より深い関係になることを意味します。
右近は平安時代の女流歌人で、この歌は先ほど紹介した藤原敦忠に対して詠まれた歌と推測されています。百人一首第38番に集録されています。
この歌では、恋の辛さを自然の景色や涙を流すのではなく、自分のことを見捨てた男に対し、「神罰が下って命を落とさないか心配」という皮肉めいた歌で表現されています。
ちなみに、紫式部の『源氏物語』では、紫の上が光源氏に対して、「身をば思はず」と右近の歌の一部をつぶやいています。光源氏が、紫の上を都に残したまま、明石の君との関係を持って都に帰ってきたためです。気になった方はぜひ読んでみてください!
第40番)しのぶれど 色に出でにけり 我が恋は ものや思ふと 人の問ふまで〈平兼盛〉
誰にも知られないように忍んでいた(隠していた)けれど、とうとう顔色に出てしまったよ、私の恋は。何か物思いをしているのかと人が尋ねるほどに。
この歌には複雑な倒置法が用いられています。ここで言う「物思い」とは、人を思うこと、つまり恋することを意味しています。「恋しているのではないか」と人が問うてくるほどに恋心が顔に出てしまったということですね。
村上天皇の御代の時の歌合で詠まれた歌で、百人一首第40番にも採られています。歌合とは、詠み手が左右に分かれて歌を詠み合い、その優劣を競い合う場のことを言います。この歌は、次に紹介する壬生忠見(みぶのただみ)の歌と優劣が競われました。
第41番)恋すてふ 我が名はまだき 立ちにけり 人しれずこそ 思ひそめしか〈壬生忠見〉
恋をしているという私の噂は早くも世間に広まってしまったことだ。誰にも知られないように、恋心を持ち始めたのに。
先ほどの「しのぶれど」の歌と優劣が競われた歌です。判定する人が、どちらを勝者とするか決めかねているところに、村上天皇が「しのぶれど…」の歌を口ずさんだことから、先ほどの兼盛の歌が勝者となったと言われています。
この歌合で負けた壬生忠見は、落胆のあまり食欲を失い、ついに死んでしまったという話があるのですが、実際にはこれは作り話だろうと言われています。ですが、地方役人の立場で天皇の前での歌合ということで、本人にとって大舞台であったことは間違いないでしょう。…という話を聞くと壬生忠見の歌を応援したくなってしまいますが、皆さんはどちらの歌が好きですか?
文法的な話になりますが、「しか」は過去の助動詞「き」の已然形で、「こそ」と呼応して係り結びとなっています。また、上の句と下の句が倒置法になっており、余韻も残す形になっています。和歌をより楽しむために、修辞法についてもまとめているのでチェックしてみてください👇
第42番)契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 波こさじとは <清原元輔>
固く約束しましたよね。お互いに涙で濡れた袖を何度も絞りながら、あの末の松山を波は決して越えることがないように、二人の愛も末長く決して変わらないと。
清原元輔は『枕草子』を書いた清少納言の父です。末の松山には有名な古歌があり、それを踏まえて詠まれています。末の松山は陸奥の海に近く、波も越えそうな所にありましたが、決して越えることはなかったと言われています。
初句に「契りきな」という歌の述語を持ってくることで、二人の約束が強調されています。当時、歌を送るのに歌人に頼んで作ってもらうことがあり、この歌も代作の一つです。
「末の松山」は宮城県多賀城市にある歌枕の地で、古くから親しまれ、松尾芭蕉も訪れています。現在は小高い丘の上に2本の松が残っています。

第43番)あひみての のちの心に くらぶれば 昔は物を 思はざりけり〈権中納言敦忠〉
お逢いして契りを結んだ後の私のこの心に比べれば、あなたにお逢いする以前など、物思いのうちの入らないことだったように思われます。
藤原敦忠は女流歌人の右近をはじめ多くの女性と関係を持った人物です。従三位権中納言まで出世した人物で、琵琶の名手であり、また『大鏡』で「よにめでたき和歌の上手」と言われ、三十六歌仙に選ばれる実力者でした。
この歌は密会の翌朝、相手の女性に送った歌で、今までの恋なんて恋じゃなかったと言ってしまうところにもプレイボーイ敦忠という印象を受けます。(敦忠の過去の女性がこの歌を知ったらどう思うのか、という思いもありますが…)
第50番)君がため 惜しからざりし 命さへ 長くもがなと 思ひけるかな〈藤原義孝〉
あなたに逢うことができれば死んでも惜しくはないと思ったこの命さえも、結ばれた今となっては少しでも長くあってほしいと思うようになったよ。
長く思っていた女性との逢瀬が叶ったことで、それまでは一度でも逢うことができれば命さえ惜しくないと思っていたのに、もっと一緒にいたいと思うようになったという、純粋な恋心を詠んでいます。
「一度でいいから逢いたい」というのは恋心かもしれませんが、出逢った後に心境が変わり「この女性のために少しでも長く生きたい」と思うのは愛とも呼べるのではないかと思います。
藤原義孝は美貌と歌才があり、多くの人から愛される人柄だったようですが、わずか21歳で病死してしまいます。その短い一生を思い合わせる時、この歌は悲しげな印象をもって心に沁みてきます。
第67番)春の夜の 夢ばかりなる 手枕に かひなくたたむ 名こそをしけれ〈周防内侍〉
春の夜の短い夢のような儚い戯れとしてあなたの手枕を借りたために、つまらない浮き名(噂)が立つことになるでしょう、それが口惜しいのです。
春の月が明るい夜に、女房たちが物語をしていたところ、周防内侍が「枕などあれば良いが」と密かに言ったのを聞いた藤原忠家が御簾の下から「これを枕に」と自分の腕を差し出したので、この歌を即興で詠んでかわしたのです。
「かひなく立たむ名」に「腕」が物名(もののな)として詠み込まれています。物名とは、歌の中に特定の語を詠み込む技法のことです。即興にも関わらず機知に富んだ歌となっています。
第77番)瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に あはむとぞ思ふ〈崇徳院〉
川の流れが速いので、岩にせき止められる急流が二つに分かれてもまた一つになるように、あなたと私も今は離れていても、いつかきっと再び逢おうと思います。
理由があって別れなければならない状況の中で、恋心を滝川の流れと重ね合わせて詠んだ歌です。
「瀬をはやみ岩にせかるる滝川の」の部分が、「われても」という言葉を導く序詞になっています。「〜を…み」で「〜が…ので」の意味になります。

第89番)玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば 忍ぶることの 弱りもぞする〈式子内親王〉
わが命よ、絶えるのならば絶えてしまえ。このまま長く生きていると、今まで人に知られないように耐え忍んできた力が弱って、この恋心がバレてしまいそうだから。
「玉の緒」とは、すなわち命のことです。命が絶えてしまうのなら絶えてしまえ、そうでないと人に知られまいと忍び耐えてきた力が弱って、恋心が爆発してしまいそうだというニュアンスです。
まとめ
三十一文字の中に様々な思いが込められており、詠まれた状況も踏まえて鑑賞するとより深く味わうことができるのではないかと思います。百人一首には他にも恋の歌がたくさん集録されています。気になった方はぜひ百人一首の本も手に取ってみてください。
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