奥羽三関を巡る歴史の旅 〜詠まれた和歌も紹介!

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北海道・東北
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奥羽三関(奥州三関)は5世紀頃に蝦夷の南下を防ぐためにつくられた関所です。当時は人や物資を取り締まる役割を果たしていましたが、律令制度が崩れるにつれてその機能を失いました。しかしその後も歌枕の地として歌人たちが訪れたり、今でも観光客が訪れたりと人々に親しまれています。

今回は詠まれた和歌も交えながら紹介します。訪れる前に知っておくと旅の楽しみが増えると思いますのでぜひご覧ください!

福島県 白河の関

都をば 霞とともに 立ちしかど 秋風ぞ吹く 白河の関

能因法師

「都を春霞とともに出発したが、今日この白河の関には秋風が吹いていることだ」という意で、長い月日を旅の空で過ごし、遥々やってきた感慨深さを歌っています。

この歌が白河の関を名所にし、のちに西行法師や松尾芭蕉をはじめ多くの文学者がこの地を訪れます。芭蕉は奥の細道の旅に出る前に、「白河の関越えんと」と記していましたが、その白河の地にたどり着いて「白河の関にかかりて旅ごころ定まりぬ」と、感動の意を表しています。また、「秋風を耳に残し」とも記されていますが、これは先程の能因法師の歌から想起されています。芭蕉がこの地を訪れたのは初夏の頃ですからね。

芭蕉と旅を共にした曾良が白河の関で詠んだ歌もあります。

卯の花を かざしに関の 晴着かな

芭蕉曾良

「卯の花を髪飾りにし、晴着のつもりでこの関を越えよう」という意です。

福島県 勿来関

常陸国と陸奥国の境にあたる関所で、江戸時代には、水戸と磐城、相馬、仙台をつなぐ浜街道に沿っていくつかの宿場があり、勿来町にも関田宿という宿場町が形成されていました。

読んで字の如く、来るなかれの意を示す歌枕で、古代から和歌にも詠まれてきた名所です。元来、蝦夷の南下を防いだのでこの名称になっています。源義家がここを通るときに桜が散るのを見て詠んだ歌があります。

吹く風を なこその関と 思へども 道もせにちる 山桜かな

千載和歌集

「吹く風に対して、そんなに吹いてくれるな、と塞き止めようとするのだけれど、その名前とは裏腹にこの勿来関には道も塞がってしまうほど山桜がいっぱい散り乱れていることだなぁ」という歌意になります。現在でも春になると勿来の関公園一帯に桜が咲き、多くの花見客で賑わいます。

山形県 念珠関

山形県鶴岡市の国道7号線沿いに念珠関址がありますが、ここは古代鼠ヶ関が移転されたものです。越後国と出羽国の国境に位置し、白河の関、勿来関と並び蝦夷防衛の重要拠点でした。義経と弁慶を題材とした歌舞伎の演目である「勧進帳」の舞台になっている場所でもあります。

まとめ

先人たちも訪れた奥羽三関は、その歴史や詠まれた和歌・背景も知っておくとより一層旅の感慨が深まると思います。今回の記事が旅のきっかけになれば幸いです。

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