夏の和歌7選 万葉集・古今集などから代表的な歌を厳選!

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歴史・和歌
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上代から中世にかけて成立した歌集の中から、有名な夏の歌を厳選しました。春や秋に比べると夏の和歌は多くありませんが、夏の清々しさが感じられますのでぜひチェックしてみてください!

春や秋の和歌は以前紹介していますのであわせてご覧ください。

万葉集

7世紀後半〜8世紀にかけて編纂された、現存する日本最古の歌集です。全20巻、約4,500首の歌が収められています。採用されているのは天皇・貴族・農民・防人などの歌で、半数近くが「読み人知らず」です。このように様々な身分の人の歌があり、詠まれた場所が東北〜九州と日本各地に及ぶのも『万葉集』の特徴です。

『万葉集』の名前の由来は、万(よろず)の言の葉、つまりたくさんの言葉で詠まれた歌集という意味だとか、万世に伝わってほしいという願いを込めたなど諸説あります。

春過ぎて夏来るらし白たへの衣干したり天の香具山〈持統天皇〉

歌意

春が過ぎて、夏が来たらしい。(夏になると衣を干すという)天の香具山に真っ白な衣が干してあることよ。

香具山の新緑と青空の下、真っ白な衣を干している情景が目に浮かぶようで、その色彩とともに季節の移り変わりが想像できます。この歌は『新古今和歌集』にもありますが、「春過ぎて夏来にけらし白妙の衣干すてふ天の香具山」とやや表現が異なっています。

香具山は奈良県橿原市にあり標高は150mほどの小さな山ですが、天から降り来た山と崇められ、天香具山と呼ばれています。畝傍山(うねびやま)・耳成山(みみなしやま)から成る大和三山の1つで、香具山と耳成山とが、畝傍山をめぐって妻争いをしたという伝説が残っています。

▶︎香具山は 畝火ををしと 耳梨と 相あらそひき 神代より かくにあるらし 古昔も 然にあれこそ うつせみも 妻を あらそふらしき (中大兄皇子)

奈良県明日香村にある甘樫丘からは、大和三山を望むことができます。散策路に植えられている木々や植物は、万葉集などで歌われたものとなっており、和歌の世界に浸りながら散策を楽しむことができます。

甘樫丘から天香具山を望む

夏の野の茂みに咲ける姫百合の知らえぬ恋は苦しきものそ〈大伴坂上郎女〉

歌意

夏の野原の茂みに隠れて咲いている姫百合のように、相手に知られない恋は苦しいものよ。

茂みに隠れて人に見られることのない姫百合と、好きという気持ちを相手に知られることなくひっそりと思い続け、孤独感に浸っている恋する作者の心境が詠まれています。

大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)は大伴旅人の異母妹で、万葉集の中でも代表的な女流歌人です。

古今和歌集

最初の勅撰和歌集で、「古」は『万葉集』以後の古い歌、「今」は現代の歌で、およそ1世紀半の歌を集めています。それらは大きく分けて、詠み人知らずの時代、六歌仙(僧正遍昭、在原業平、文屋康秀、喜撰法師、小野小町、大伴黒主)の時代、撰者の時代に区分できます。

夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを雲のいづくに月宿るらむ〈清原深養父〉

歌意

短い夏の夜は、まだ宵と思っているうちに明けてしまったが、これでは月は西の山まで行き着けなかったであろうに、いったい今、雲のどの辺りに宿っているのだろうか。

明けるのが早い夏の夜は、少し夜更かしをするとすぐに空が明るくなってきてしまいます。さっきまで見ていた月がもう見えないのは、あの雲の中に宿りをしたからではないかと月を擬人化して想像した面白さがあります。

夏は昼間の時間が長く、夜の時間が短いので、短夜と言います。反対に日の短くなる秋は、夜長と言います。

夏と秋とゆきかふ空のかよひぢはかたへすずしき風や吹くらむ〈凡河内窮恒〉

歌意

過ぎ去っていく夏と、訪れてくる秋とがすれ違う大空の通路は、秋がやってくる片方に涼しい風が吹いているのだろうか。

「六月のつごもりの日よめる」歌です。つごもりは、その月の最後の日のことなので、明日からは秋になるという六月の最後の日に詠まれた夏の歌になります。季節の風が往来する通り道が空にあるという発想が斬新で面白いですね。

五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする〈詠み人知らず〉

歌意

五月を待つ花橘の香を嗅いだところ、以前親しくていたあの人の袖の香りが匂うことよ。

当時の貴族たちは自分の衣服に好きな香をたきしめていました。ここでいう「昔の人」は花橘の香りをたきしめていたのでしょう。ふと鼻をついた花橘の香りが、昔慕っていた人のことを思い出し、しみじみとしている様子が想像でき、愛着の深さをよく表しています。

余談ですが、特定の匂いや香りから忘却の彼方にあった記憶が思い出される現象はプルースト効果と呼ばれており、時代に関係なく誰しもが経験したことがあるのではないでしょうか。

千載和歌集

平安時代末期の勅撰和歌集で藤原俊成によって撰ばれました。主な歌人としては、撰者の藤原俊成・源俊頼・和泉式部・西行などが挙げられます。

ほととぎす鳴きつる方をながむればただ有明の月ぞ残れる〈藤原実定〉

歌意

時鳥が鳴いて過ぎた方を眺めてみると、(もうその姿はなく)ただ有明の月だけが空に残っている。

時鳥(ホトトギス)は初夏の5月頃に南の方から日本に渡ってくるため、夏を告げる鳥として和歌によく詠まれています。有明の月は、夜が明けても、まだ空に残っている月のことです。

この歌は百人一首の歌としてとても有名ですが、次の歌を知るとより楽しめます。

▶︎有明の月だにあれや時鳥ただ一声の行く方も見む〈藤原頼通〉

「有明の月でも残っていれば、ただ一声鳴いて過ぎた時鳥の行方を追うこともできたであろうに」という意味で、これを受けて先ほどの和歌を詠んだと考えるとまた面白いです。

新勅撰和歌集

鎌倉時代前期の勅撰和歌集で、撰者は藤原定家です。

風そよぐならの小川の夕暮れはみそぎぞ夏のしるしなりける〈従二位家隆〉

歌意

涼しい風が吹いて、楢(ナラ)の葉をそよがせているならの小川の夕暮れはすでに秋の気配だが、六月祓のみそぎだけが、今日はまだ夏であるという証なのだなあ。

「ならの小川」は、奈良ではなく京都の上賀茂神社近くを流れる御手洗川のことで、参詣する人はここで手や口をすすぎお清めしました。また、ここでいう「みそぎ」は「夏越の祓(六月祓)」のことを指しており、今でも各地の神社で6月30日に行われています。神社で、茅(ちがや)という草で編まれた「茅の輪」という大きな輪を見たことがある方もいると思いますが、これは夏越の祓を象徴するものです。

まとめ

桜の見頃が過ぎ、風薫る五月にもなると新緑が目に眩しく感じられるようになります。夏は厳しい暑さで外に出るのが億劫になりがちですが、夏には夏の良さがあります。夏らしさを感じながら、今回ご紹介した和歌などを思い浮かべてみてください!

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