万葉集の代表的な和歌を紹介!現代語訳と解説も

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歴史・和歌
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万葉集は現存する日本最古の歌集です。約4,500首もの歌が収められていますが、ここではその中から有名な和歌を厳選して紹介します!

基礎知識

成立

万葉集は7世紀後半〜8世紀にかけて編纂された現存する日本最古の歌集です。全20巻、約4,500首の歌が収められており、大伴家持が編纂に関与したと言われています。採用されているのは天皇・貴族・農民・防人などの歌で、半数近くが「読み人知らず」です。このように様々な身分の人の歌があり、詠まれた場所が東北〜九州と日本各地に及ぶのも『万葉集』の特徴です。

『万葉集』の名前の由来は、万(よろず)の言の葉、つまりたくさんの言葉で詠まれた歌集という意味だとか、万世に伝わってほしいという願いを込めたなど諸説あります。

三大部立

万葉集には大きく次の3つの部立によって構成されています。

雑歌四季折々の歌や、宮廷での儀礼や遊宴の折に詠まれた公的な性格の歌など
相聞主に恋の歌
挽歌死者哀悼や辞世の歌で、元来は棺を挽く時の歌という意

これらは三大部立と言われますが、この他にも東歌や防人歌などのテーマもあります。

雑歌

東の野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ〈柿本人麻呂〉

歌意

東の野の方に朝の赤い光が見えて、振り返って見ると月は西に傾いている。

この歌は教科書にも載っており、聞いたことがある方も多いのではないでしょうか。

広大な原野と太陽と月という壮大な光景が目に浮かぶようなこの歌は、万葉集を代表する名歌の一つです。「かぎろひ」とは、日が昇る直前の赤い光のことです。

憶良らは今は罷らむ子泣くらむそれその母も我を待つらむそ〈山上憶良〉

歌意

私憶良はもうこれで退出致しましょう。今頃家では子どもが泣いているだろうし、その子の母も私の帰りを待っているだろうから。

宴会の場を退席する際の歌としてよく知られた歌です。山上憶良の作品の多くは筑前の国司として今の福岡県に在住していた時に詠まれた歌です。この頃、大伴旅人も大宰府に長官として赴任していました。この歌が詠まれた宴席も大伴旅人と一緒だったと思われます。

太宰府天満宮

田子の浦ゆうち出でて見れば真白にそ富士の高嶺に雪は降りける〈山部赤人〉

歌意

田子の浦を通って視界の開けた場所に出てみると、真っ白に富士の高嶺に雪が降り積もっていた。

これは「山部宿禰赤人 富士の山を望む歌一首并せて短歌」という、神聖な富士山を後世に語り継いでいこうという長歌があります。その反歌がこの歌です。

天地の 分れし時ゆ 神さびて
高く貴き 駿河なる 富士の高嶺を 天の原 降りさけ見れば
渡る日の 影も隠らひ 照る月の 光も見えず 白雲も い去きはばかり
時じくぞ 雪は降りける 語りつぎ 言ひ継ぎ往かむ 富士の高嶺は

なお、百人一首に選定されているのは新古今和歌集の「田子の浦にうち出でてみれば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ」です。

冬晴れの田子の浦港と富士山 朝景

あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る〈額田王〉

歌意

野の守り番が見咎めしないでしょうか。紫草を栽培する野を行きながら、あなたは袖をお振りになることよ。

額田王にとって大海人皇子は前夫で、この時、額田王は天智天皇の妃でした。袖を振るのは愛情表現で、皇子の人目をはばからぬ大胆な仕草を気にかけながらも受け入れようとする、そんな心情が巧妙に表現されています。これに対して大海人皇子が額田王に返した歌があります。

紫草のにほへる妹を憎くあらば人妻ゆえに我恋ひめやも〈大海人皇子〉

紫草のように美しいあなたが憎かったらどうして人妻のあなたに恋慕うことがあろうか、という意味です。額田王をめぐる三角関係かと思われますが、当時の年齢などからして宴会の場での戯れの歌であったという説もあります。

熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな〈額田王〉

歌意

熟田津で船乗りをしようと月の出を待っていると、(月も出て)潮も満ちてきた。今こそ漕ぎ出そう。

中大兄皇子が唐・新羅連合軍と戦う百済を支援するために、北九州へ向けて出航し、伊予国(現在の愛媛県)の熟田津に停泊した際の歌と考えられています。戦いに向けていざ出航しようという臨場感が伝わってきます。最後の「な」は勧誘を表す助詞です。

相聞

夏の野の繁みに咲ける姫百合の知らえぬ恋は苦しきものそ〈大伴坂上郎女〉

歌意

夏の野原の茂みに隠れて咲いている姫百合のように、相手に知られない恋は苦しいものよ。

茂みに隠れて人に見られることのない姫百合と、好きという気持ちを相手に知られることなくひっそりと思い続け、孤独感に浸っている恋する作者の心境が詠まれています。

大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)は大伴旅人の異母妹で、万葉集の中でも代表的な女流歌人です。

来むといふも来ぬ時あるを来じといふを来むとは待たじ来じといふものを〈大伴坂上郎女〉

歌意

来ようと言っても来ない時があるのに、はじめから来られないだろうと言うのを来るだろうと待ったりはしません。来ないと言っているものを。

リズミカルな歌で声に出して読みたくなる歌ですが、最後の「ものを」を順接で取れば”来ないと言っているのだから待たない”と捉えられますし、逆説と見れば”来ないと言っているけれど待っている”とも解釈できます。

我が背子を大和へ遣るとさ夜更けて暁露あかときつゆに我れ立ち濡れし〈大伯皇女〉

謀反の疑いで逮捕される直前、大津皇子は都があった飛鳥をひそかに抜け出し伊勢神宮へ向かいます。伊勢には同母姉の大伯皇女(おおくのひめみこ)がおり、神に仕える斎宮として伊勢神宮に奉仕していました。秋の長夜もいよいよ更けて大津皇子は大和へ帰っていきますが、大伯皇女は暁時の夜露に衣を濡らしながら、ただ弟の待ち受ける運命を案じて見送り続けるのです。

奈良県 甘樫丘より明日香村を眺める

挽歌

百伝ふ磐余いわれの池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ〈大津皇子〉

歌意

百に伝う磐余の池に鳴く鴨を見るのも今日を限りとして、私は雲の彼方に去るのだろうか。

天武天皇の死後、謀反の疑いで捕らえられた大津皇子は、24歳の若さでこの世を去ります。この歌は死に際し詠まれた歌です。磐余池は大津皇子の宮の付近にあったと考えられています。「雲隠り」は「死ぬ」の敬避表現で、亡くなって天国に行くことを意味します。

家にあれば笥けに盛る飯を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る〈有間皇子〉

歌意

家にいたなら食器に盛る飯なのに、草を枕とする旅の身なので、椎の葉に盛る。

有間皇子が蘇我氏の策略により謀反人として捕らえられ、護送される途中に詠まれた歌です。(け)とは物を入れる器のことで、普段であれば食器に盛っていたのに、今は葉っぱの上に盛っているという境遇の落差が表されています。

東歌

多摩川にさらす手作りたづくりさらさらに何そこの児このここだ愛かななしき

歌意

多摩川の水にさらして作る麻の布のように、さらにますますこの子が愛しく思えるのはどうしてだろう。

多摩川は山梨県から東京都と神奈川を流れ、最終的に東京湾に注ぐ河川です。多摩川の語源は諸説ありますが、万葉仮名では「多麻河伯(たまがは)」と表記され、これは多摩川流域で麻が取れたためとも言われています。東歌は東国でよまれた歌のことで、東国方言も見られます。

多摩川上流に咲く桜

防人歌

父母ちちははが頭かしらかき撫なで幸さくあれて言ひいいし言葉けとばぜ忘れかねつる

歌意

父母が出発前に私の頭を撫でながら、無事であるようにと祈ってくれた言葉が忘れられない。

防人は日本古代の兵制の一つで、唐や新羅に対する防衛のために筑紫の国(現在の福岡県)に派遣され、最前線の防備にあたりました。難波津(現在の大阪府)が集合地点となり、長い間故郷から離れ家族と別れる悲しみが防人歌として残っています。

まとめ

万葉集は宮廷だけでなく民衆の歌も多く収録されており、のちの勅撰和歌集とはまた違った良さがあります。万葉集には全部で約4,500首もの和歌がありますので、今回の記事をきっかけにもっと万葉の世界に浸ってもらえると嬉しいです。

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