和歌には序詞や枕詞、掛詞といった修辞法がいくつかあり、それらを覚えることで和歌をより一層楽しむことができます。ここではそうした修辞法とその効果を、実際に詠まれた和歌を交えながら解説していきます。
掛詞(かけことば)
掛詞は、同音異義語を和歌の中に読み込むことで、1つの言葉から複数のイメージを連想させる表現技法のことを言います。平たく言えばダジャレのようなものです。限られた文字数の中で世界を広げる効果があり、古今和歌集以降、盛んに用いられました。実際の和歌を見てみましょう。
大江山いくのの道の遠ければまだふみも見ず天の橋立〈小式部内侍〉
小式部内侍が歌合に招かれた際、中納言定頼に和泉式部(小式部内侍の母)の作品は届いたかと嫌味を言われますが、その時即興で詠んだ歌として広く知られています。
この歌には掛詞が2つ織り込まれています。1つは「いくの」で、「生野」に「野を行く」が掛けられています。もう1つは「ふみ」で、「踏み」と手紙を意味する「文(ふみ)」が掛けられています。天橋立など見たことも踏んだこともない、その裏には手紙も見ていないというメッセージが隠されています。
実はこの歌には他にも修辞法が使われており、「踏む」は橋の縁語、最後の「天橋立」は体言止めになっています。このような技巧を駆使した歌を小式部内侍は即興で詠んだわけですから、中納言定頼もその実力に顔向けできなかったことでしょう。
花のいろは移りにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに〈小野小町〉
桜の花と自らを重ね合わせ、容姿の衰えを嘆いた歌です。「経る」と「降る」、「眺め」と「長雨」が掛詞です。
このように、掛詞が含まれる和歌は2つもしくはそれ以上の意味を踏まえて現代語訳します。
枕詞(まくらことば)
枕詞は特定の言葉にかかる5語のことを言います。
あしびきの山どりの尾のしだり尾のながながし夜をひとりかもねむ〈柿本人麻呂〉
「あしびきの」が「山」にかかる枕詞です。「あしひきの山鳥の尾のしだり尾の」が「ながながし」を修飾する序詞にもなっています。序詞については後ほど解説します。
夏から秋にかけてだんだんと日が短くなっていくにつれ、夜が長く感じられるようになることから、秋の夜長という言葉が今も使われます。
田子の浦にうち出でて見れば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ〈山部赤人〉
「白妙の」が「富士」にかかる枕詞です。他にも「衣」や「雲」など布や白色のものにかかる枕詞です。
ちはやぶる神代も聞かず竜田川からくれなゐに水くくるとは〈在原業平〉
「ちはやぶる」が「神」にかかる枕詞です。漢字では「千早振る」と書き、勢いのある、とか荒々しいといった意味があります。
ちなみに言葉が似ている「歌枕」は、古来より多く読まれてきた名所・旧跡のことを指します。その地名によって、共通のイメージが和歌の中にも織り込まれるのです。
序詞(じょことば)
序詞も枕詞のように特定の語を導く言葉ですが、枕詞が5語なのに対して序詞はそれよりも長い2句以上なのが特徴です。
瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末にあはむとぞ思ふ〈崇徳院〉
理由があって別れなければならない状況の中で、恋心を滝川の流れと重ね合わせて詠んだ歌です。
「瀬をはやみ岩にせかるる滝川の」の部分が、「われても」という言葉を導く序詞になっています。
「〜を…み」で「〜が…ので」の意味になります。
陸奥のしのぶもぢずり誰ゆゑに乱れそめにしわれならなくに〈河原左大臣〉
「陸奥のしのぶもぢずり」が「乱れ」を導く序詞です。このように、間の句を隔てて繋がる序詞もあります。
陸奥は現在の東北地方で、信夫は陸奥国にあった郡です。文知摺絹は信夫地域の特産品でした。
福島県福島市にある文知摺観音の境内では、文知摺石を見ることができます。また、この地を訪れた松尾芭蕉は、「早苗とる 手もとや昔 しのぶずり」の句を残しています。
縁語
縁語とは、歌の全体の意味とは関係なく、一首の中で関連のある言葉を複数詠み込む技法で、連想により表現を深める効果があります。
風をいたみ岩打つ波のおのれのみ砕けて物を思ふころかな〈源重之〉
辛く苦しい片思いを詠んだ和歌で、「岩」は振り向いてくれない女性、「波」は作者のたとえになっています。この歌の縁語は、「波」と「砕け」です。自然描写と作者の思いが重なり合っている歌で、百人一首にも採られています。
世の中は何か常なるあすか川昨日の淵ぞ今日は瀬になる〈古今集・詠み人知らず〉
「あすか川」に「明日(あす)」の音があるため、「昨日」「今日」との縁語になります。
この歌を踏まえて詠まれたとされる歌があります。「あすか川淵は瀬になる世なりとも思ひそめてむ人は忘れじ」(飛鳥川の淵が瀬になる無常な世の中であっても、私が思いそめた人のことを忘れはしない)という歌で、どちらの歌も飛鳥川の流れに月日の流れを重ね、無常感を見ています。
そのほかのよく使われる縁語としては、「露」と「消える」「結ぶ」「置く」、「袖」と「結ぶ」「解く」「涙」などがあります。
本歌取り
本歌取りは、古典的な名歌を踏まえて新しい歌を詠むことで、和歌に複雑な余韻を残したり、深みを与える効果があります。もとになった歌を本歌と言います。
大空は梅のにほひにかすみつつ曇りも果てぬ春の夜の月〈藤原定家〉
この歌の本歌は、大江千里の「照りもせず曇りも果てぬ春の夜の朧月夜にしくものぞなき」(照りもしないし、曇りもしない、そんな春の夜の朧月の美しさに勝るものはない)です。さらにこの千里の歌は白楽天の『白氏文集』にある「不明不暗朧朧月(明らかならず暗からず朧朧たる月)」をもとに詠まれた歌なので、とても重層的な歌になっているのです。
ちなみに、紫式部の『源氏物語』の「花宴」の巻に、朧月夜の尚侍という女性が登場しますが、これは先程の大江千里の歌に由来しています。このように『源氏物語』の登場人物には古典を踏まえて命名されたものがあり、紫式部の教養の深さが窺い知れます。
歌枕
歌枕は、これまで伝統的に和歌に登場してきた地名のことで、全国に多数存在します。単なる地名ではなく、その地の持つイメージが歌の中にも取り込まれることが多いです。
箱根路をわが越えくれば伊豆の海や沖の小島に波の寄る見ゆ〈金槐集・源実朝〉
源実朝は頼朝の次男で、鎌倉幕府3代将軍です。和歌の才があり、多くの名歌を詠みました。この歌は、伊豆・箱根両権現に参詣した時に詠まれた歌です。しかし実朝は、わずか28歳で鶴岡八幡宮で甥の公暁に暗殺され、その生涯を閉じることになります。
箱根、伊豆は歌枕の地です。これまで多くの人がこの地を訪れ、そして歌を詠みました。そんな歌枕の地を訪ねる旅をして、往時をしのぶのも面白いです。
隠し題
和歌全体の意味とは関係なく、特定の言葉を隠すように詠み込む技法のことです。折句(おりく)、物名(もののな)があります。
折句で有名な歌があります。
からころも着つつなれにしつましあればはるばる来ぬる旅をしぞ思ふ〈古今集・伊勢物語〉
この歌のどこにどんな言葉が隠されてるいるのでしょうか。
それぞれの句の始めの文字だけを繋げてみてください。「からころも着つつなれにしつましあればはるばる来ぬる旅をしぞ思ふ」の中に「かきつばた」が詠み込まれていますね。このように、各句の始めまたたは終わりの文字を5つ繋げると、1つの言葉になるように読まれるのが折句です。
この歌の詞書には、「東国へ、友とする人を一人二人誘って行った。三河国八橋という所に到着したところ、その川のほとりに、かきつばたがとても美しく咲いていたのを見て、木陰に馬を降りて腰をおろし、”かきつばた”という五文字を各句の初めに置いて、旅の心を詠もうと言って詠んだ歌」とあります。
朝露を分けそほちつつ花見むと今ぞ野山をみな経知りぬる〈古今集〉
この歌にもある言葉が隠されています。それは、「をみなへし(女郎花)」という言葉です。「・・・今ぞ野山をみな経知りぬる」、この部分に隠されています。
このように歌の中に特定の語を詠み込む技法を、物名と言います。珍しい歌のようにも思われますが、実は古今集の巻十は物名の歌を集めたものになっています。
体言止め
体言止めとは、五句目の終わりに体言(名詞)を置くことで、余韻を残す効果があります。
わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと人には告げよ海人(あま)の釣舟〈小野篁・古今集〉
この歌は流刑地である隠岐島に旅立つ際の寂寥感を詠んだ歌です。作者の小野篁は、遣唐副使を仮病で辞退して隠岐に配流となりました。下の句で「釣舟」を擬人化し、さらに体言止めによって悲しみが強調され余韻が残ります。
都から隠岐島への旅路は、難波の港から瀬戸内海を経て日本海に出る長い船路です。上の句の大海原と無数の島々という叙景に、流罪となる悲壮感が感じられます。小野篁はその後罪を許され、帰京して出世します。
まとめ
このように和歌の修辞法はたくさんありますが、知っておくと和歌の解釈がしやすくなるだけでなく、より一層和歌の世界に浸って歌を味わうことができます。
ぜひ和歌に触れる際は修辞法にも着目して鑑賞してみてください。