上代から中世にかけて成立した歌集の中から、有名な春の歌を中心にピックアップしました。中には百人一首に選ばれているものも含まれますが、出典元ごとにまとめてみました。
『万葉集』
7世紀後半〜8世紀にかけて編纂された、現存する日本最古の歌集です。全20巻、約4,500首の歌が収められています。採用されているのは天皇・貴族・農民・防人などの歌で、半数近くが「読み人知らず」です。このように様々な身分の人の歌があり、詠まれた場所が東北〜九州と日本各地に及ぶのも『万葉集』の特徴です。
春の野に すみれ摘みにと 来し我そ 野をなつかしみ 一夜寝にける〈山部赤人〉
山部赤人は奈良時代、聖武天皇の頃の下級官民だったと推定されています。当時、柿本人麻呂と同様に宮廷での求めに応じて和歌を献呈する宮廷歌人として活躍しました。
この歌は、紫式部の『源氏物語』第三一帖 真木柱に「野をなつかしみ、明かいつべき夜を、惜しむべかめる人も、身をつみて心苦しうなむ…」と引歌されています。また、『古今集』の仮名序にもこの歌が例示されており、平安時代に広く親しまれていた歌のようです。
新しき 年の初めの 初春の 今日降る雪の いやしけ吉事(よごと)〈大伴家持〉
新年の雪は豊年のしるしとされていたので、この歌ではお祝いの意を表現しています。大伴旅人の長男、大伴家持を中心に編纂された『万葉集』はこの歌をもって幕を閉じます。
『万葉集』にある大伴家持の歌は473首ありますが、そのうちのいくつかを紹介します。
▶︎春の園 紅にほふ 桃の花 下照る道に 出で立つをとめ
▶︎春の野に 霞たなびき うら悲し この夕影に うぐひす鳴くも
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『古今和歌集』
最初の勅撰和歌集で、「古」は『万葉集』以後の古い歌、「今」は現代の歌で、およそ1世紀半の歌を集めています。それらは大きく分けて、詠み人知らずの時代、六歌仙(僧正遍昭、在原業平、文屋康秀、喜撰法師、小野小町、大伴黒主)の時代、撰者の時代に区分できます。
世の中に たえて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし〈在原業平〉
桜は開花までが待ち遠しく、ようやく満開になったと思ったら雨や風ですぐに散ってしまい、開花状況に一喜一憂して気持ちが落ち着かないものです。それならいっそ桜がなければ、という歌ですが、これは桜を愛でる気持ちの強さを言うものです。
この歌には反歌があります。
散ればこそ いとど桜は めでたけれ 憂き世になにか 久しかるべき
散らないで欲しいという歌に対して、散るからこそ桜は美しいと返した有名な和歌です。確かに、一年中桜が満開であったら、あえてお花見をして桜を愛でようとはならないかもしれません。
君ならで 誰にか見せむ 梅の花 色をも香をも 知る人ぞ知る〈紀友則〉
梅の花を折って人に贈る時の歌です。「誰にか見せむ」の「か」は反語表現なので、あなた以外に見せる人はいないという強い意味を持ちます。梅の花は香りも良いので、和歌でも梅の香りを詠んだものは多いです。
「知る人ぞ知る」と言う表現は今でも使われますが、この歌が語源になっているという説もあります。
人はいさ 心もしらず ふるさとは 花ぞむかしの 香ににほひける〈紀貫之〉
この歌の詞書に、紀貫之が初瀬の長谷寺へお参りに行くたびに泊まっていた宿にしばらく行っておらず、久しぶりに訪れた貫之に対して宿の主人が「このように確かにあなたの泊まる宿はありますのに(なぜいらっしゃらなかったのですか)」とあります。これに対して、貫之が即興で返した歌です。変わってしまう「人の心」と変わらない「ふるさとの花」が対になっています。
花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに〈小野小町〉
百人一首にも選ばれている有名な和歌です。「ふる」に「経る」と「降る」が、「ながめ」に「眺め」と「長雨」が掛けられています。目の前の長雨に打ちひしがれて色褪せた桜と、老いた自分とを重ね合わせて詠まれた歌です。小野小町は伝説の美女として知られ、六歌仙の一人です。
『拾遺和歌集』
平安時代中期の勅撰和歌集で、代表的な歌人は紀貫之・柿本人麻呂・清原元輔・凡河内躬恒などです。
東風(こち)吹かば にほひをこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな〈菅原道真〉
菅原道真は学者官僚として右大臣まで出世しましたが、時の権力者であった藤原時平の策略によって福岡県の大宰府に左遷されました。この歌は、「流され侍りける時、家の梅の花を見侍りて」詠まれた歌です。
道真は罪が晴れて京へ帰ることをひたすら待ち望みましたが、無念のうちに左遷されてしまいました。のちにこの京都の道真邸の梅花が主人を追って太宰府まで飛んで行ったとされ、現在太宰府天満宮には飛梅と称される梅の木があります。
太宰府で詠まれた和歌として最も有名なのは、大伴旅人の邸宅で催された歌会「梅花の宴」において詠まれた32首の作品群で、万葉集に残されています。これらの歌の序文から元号「令和」は名づけられました。
「梅花歌三十二首并序」
時に、初春の令月にして、気淑く風和ぐ。梅は鏡前の粉を披く。蘭は珮後の香を薫らす。しかのみにあらず、曙の嶺に雲移り、松は羅を掛けて蓋を傾く、夕の岫に霜結び、鶏はうすものに封ぢられて林に迷ふ。庭には舞う新蝶あり、空には帰る故雁あり。
『万葉集』
また、太宰府の近くには天拝山という山がありますが、これは道真が大宰府に左遷された際、何度もこの山に登って天に無実を訴えたことが名前の由来になっています。山頂からは西の都・大宰府から博多湾まで見渡すことができます。標高258mで登山道は綺麗に整備されているため、登山初心者にもおすすめです。山頂に至るまでの道には、道真が詠んだ和歌の歌碑が全部で11基あります。ぜひ思いを馳せながら登ってみてください。
『千載和歌集』
平安時代末期の勅撰和歌集で藤原俊成によって撰ばれました。主な歌人としては、撰者の藤原俊成・源俊頼・和泉式部・西行などが挙げられます。
春の夜の 夢ばかりなる 手枕に かひなくたたむ 名こそをしけれ〈周防内侍〉
周防内侍は平安後期の女流歌人で、この歌は百人一首にも選定されています。周防内侍が「枕が欲しいものだ」とふと呟いた時に、これを枕にと自分の腕を差し出した大納言忠家(藤原道長の孫)に対してその誘いを即興で詠んだ歌で受け流したのです。
「かひなく立たむ名」に「腕(かひな)」が詠み込まれています。
『山家集』
花見にと 群れつつ人の 来るのみぞ あたら桜の とがにはありける〈西行〉
平安末期の私家集で、西行法師の歌が収められています。四季・恋・雑に部類し、月と花の歌が多く、桜の歌は103首にものぼります。この歌は、桜の罪なところを歌うことで、逆に桜のことを愛でた形となっています。世阿弥作の能楽作品『西行桜』にもこの歌が登場します。
『山家集』には西行の晩年の有名な歌があります。(詠まれた時期は諸説あります)
▶︎願はくは 花の下にて 春死なん そのきさらぎの 望月のころ
この歌からも、西行が花と月に特別な感情を持っていたことが感じられます。そして西行は、願い通りの如月十六日にこの世を去りました。
『新古今和歌集』
『新古今和歌集』は、鎌倉時代初期に成立した勅撰和歌集です。洗練された優雅な言葉と、秀逸な修辞技法によって詠まれた歌が集まっています。
春の夜の 夢の浮橋 とだえして 峰に別るる 横雲の空〈藤原定家〉
藤原定家の最高傑作とも称される高名な歌です。この歌からは具体的かつ感覚的なイメージが想像でき、現代語訳では伝えきれない美しさがあります。「夢の浮橋」は、はかない春の夢を喩えた表現ですが、これは『源氏物語』の最終の巻名と同じで、浮舟と薫の物語を連想させます。
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藤原定家は平安時代末期から鎌倉時代初期を生きた歌人で、定家様という独特な書風を確立した人物でもあります。
まとめ
歌人たちは四季を通して、その時の心情や情景を歌に詠み込んできました。特に春は日本人にとって身近な桜の咲く季節でもあり、その美しさや儚さを詠んだ歌が多くあります。今回ご紹介したのはほんの一部に過ぎません。この記事が美しい和歌の世界へ踏み込むきっかけとなれば幸いです。