上代から中世にかけて成立した歌集の中から、有名な秋の和歌を厳選しました。秋の歌はどこか寂しげですが、新古今和歌集の三夕の歌をはじめ有名な歌がたくさんあります。ぜひチェックしてみてください!
春・夏の和歌も紹介していますのであわせてご覧ください。
万葉集
君待つと 吾が恋ひ居れば 我が屋戸の 簾動かし 秋の風吹く〈額田王〉
額田王は万葉の代表的女流歌人です。夫(天智天皇)の来訪を待ちわびていると、家の簾が動いたのであの人が来たかと思ったが、ただ寂しい秋風が吹いて簾を揺らしただけであったという、儚い情景が想像されます。
万葉集の和歌は別の記事で詳しく紹介していますので、ぜひチェックしてみてください。
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古今和歌集
秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる〈藤原敏行〉
立秋の日に詠まれた歌で、まだ木々は青く、目では秋の訪れは感じられないけれど、風の音に秋の気配を感じ取った、とても感覚的で率直な歌とも言えます。確かに、今でも立秋が過ぎて暦上は秋になっても、まだまだ暑い日が続き、木々も青々として中々秋を実感することはないかもしれません。でもふと朝や夕方に涼しい風が吹いて秋の気配を感じることはあるのではないでしょうか。
奥山に もみぢ踏み分け 鳴く鹿の 声聞くときぞ 秋は悲しき〈詠み人知らず〉
百人一首にも採られている有名な和歌です。「踏み分け」の主体が人か鹿か、解釈が分かれていますが、いずれにしても雄鹿が雌鹿を求めて鳴く声に、美しくもどことなく寂しい情景が想起させられます。
猿丸大夫の歌とも言われますが、『古今集』では詠み人知らずとして載っています。猿丸大夫は生没年も不詳で、伝承上の人物という説もあります。
このたびは 幣(ぬさ)もとりあへず 手向山 もみぢの錦 神のまにまに〈菅原道真〉
この歌は学問の神様として有名な菅原道真によって詠まれた歌で、百人一首にも採られています。宇多天皇が吉野に行幸した時に手向山で詠まれたとされ、「このたび」に「今度」と「この旅」を掛け、「手向山」には「手向ける」の意も掛けられています。
掛詞など、和歌の修辞法についてはこちらで詳しく解説しています👇
秋の野に 人まつ虫の 声すなり 我かと行きて いざ訪(とぶら)はむ〈詠み人知らず〉
松虫に、人を「待つ」という意味を掛けており、松虫の悲しげな鳴き声が人を待つ寂しさをよく表しています。自然界の松虫が人を待つ、そして人である作者が松虫の声を聞いて訪ねてみる、自然と人の世界が一体になっているのも面白いですね。
ちはやぶる 神代(かみよ)も聞かず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは〈在原業平〉
韓紅(からくれない)は、韓から到来した紅のことです。竜田川の水面に浮かぶ紅葉を絞り染め模様に見立てて詠まれた歌です。絞り染めとは、布を絞ってから染めることで独特な模様を浮かび上がらせる手法のことです。この歌は百人一首にも採られています。
ちなみに竜田揚げの名前の由来は、揚げた後の醤油の赤色と白い斑点の様子を紅葉の流れる竜田川に見立てたからとも言われています。
新古今和歌集
『新古今集』では、結びが「秋の夕暮れ」となっている歌が三首続いており、「三夕の歌」として親しまれています。ここではそんな「三夕の歌」を紹介します。いずれの歌も秋の夕暮れの寂しさを詠んでいます。
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寂しさは その色としも なかりけり 槇(まき)立つ山の 秋の夕暮れ〈寂蓮〉
槇とは、杉や檜などの常緑樹の総称です。秋の代表的な景色としては紅葉が思い浮かびますが、寂蓮のこの歌では緑が生茂る山の夕暮れの様子が詠み込まれています。体言止めで寂しさの余韻が伝わってきます。
心なき 身にもあはれは 知られけり 鴫(しぎ)立つ沢の 秋の夕暮れ〈西行法師〉
『新古今和歌集』の中で一番多く歌が選ばれているのが西行です。西行は紀伊国(現在の和歌山県)に生まれ武士として活躍しますが、23歳の若さで出家します。出家後は旅とともにいくつもの歌を残し、のちに松尾芭蕉にも影響を与えることになります。
この歌では秋の夕暮れの静かな沢に羽音を立てて鴫が飛び立っていく光景が詠まれており、飛び立った後、静かな沢に戻るまでの様子が連想されます。音が立った後はより静けさを感じる、そんな秋の夕暮れです。
見わたせば 花ももみぢも なかりけり 浦の苫屋(とまや)の 秋の夕暮れ〈藤原定家〉
西行に勧められて詠んだ歌で、花も紅葉も何もないが、それがかえって趣深いのだという詠嘆の意と解釈できます。
『源氏物語』の「明石」の巻では、「はるばると物のとどこほりなき海面なるに、なかなか春秋の花紅葉の盛りなるよりも、ただそこはかとなう繁れる陰どもなまめかしきに」というように、春や秋の花・紅葉よりも、そこはかとなく生茂る草陰などに趣を見出しており、定家の歌はこれを踏まえていると言われています。
後拾遺和歌集
嵐吹く 三室の山の もみぢ葉は 龍田の川の 錦なりけり〈能因法師〉
能因法師の晩年に詠まれた歌で、百人一首にも選ばれています。風で紅葉が散ってしまうのは惜しいことですが、散った紅葉は川面を彩り、まるで錦のようだという気付きを歌にしています。
まとめ
秋は木々の葉も落ち、日に日に寒さが増していく、どことなく寂しさを感じる季節でもあります。これまで詠まれてきた数々の和歌を鑑賞すると、この季節に感傷的になるのは今も昔も変わらないものだと認識させられます。ぜひ、秋の夜長には和歌の世界に浸ってみてください。